昭和48年04月04日 朝の御理解
御理解 第48節
「わが子の病気でも可愛い可愛いと思うてうろたえるといけぬぞ。云う事を聞かぬ時にままよと思うて放っておく様な気になって信心してやれ。おかげが受けられる。」
信心の難しさと云うなら此の辺の所だろうと思う。子供が病気をしておる。まあ重態としましょうか。それを放っておく様な気になって信心してやれと云うのです。 とても難しいけれども、段々信心を進めて参りまして、段々信心の有難さと云うか、分かって参りますとそれが段々、まあ云うなら離れ業の様な信心が出來る様になって来る。そこに不思議に神様の特別な働きを受けさせて頂ける体験が生まれてでも来ると、いよいよそういう時の信心が有難いものになって來る。
今日はままよと思うて放っておく様な気になると云う事、是はやっぱり信心の度胸。どうなるだろうかと云った様な不安を持ってしたんではいけないし、そういう時に信心が非常な飛躍も遂げる様に思います。もう只石橋を叩いて渡ると云う様な生き方の人があります。何処迄も人知、人間の考えの及ぶ限りで信心をする人があります。是はどんなに良い素質を持っておっても信心は飛躍しません。
穏やかな、真面目でと云う信心の人に多い様です。やはりこの辺の所は何と云うですかねえ、まあ一つのスリルを感じるとでも申しますか。けれども神様が求め給うのは、やはり神を信ずる力がいよいよ強うなると云う事なんです。神様としてはそのままよと云う様な心を起こして神様へ向かうと云う事。そういう心を求め給うのです。私は今朝こんなお夢を頂いておった。それがどう言う様な事でかは知らないけれども、やはりこのお広前を私が出ておる訳です。
そして又別な、云うならおかげの頂けれる世界と云うか、天地を目指して出ている。それは丁度お釈迦様が、王城も又はお妃も云うなら振り捨てて、修行に出られた様な感じなんです。家も捨てて家内も捨て、子供も捨て、いわゆる御信者の皆さんも捨てて、私は何処にか遠い所にその旅立つ。それもいわゆる新たな信心の天地を目指して行っておる。それでまあ、駅の前の様な喫茶店の様な店に寄って、そこで時間を調べたりなんかして、そこで聞いた所が、汽車が不通になってる、通らない。
それであぁたがおいでられる所迄行かれる為には、やはり歩いて一ケ月位かかる。そして非常に険阻な所が有ったり、道が悪かったりする大変な難儀な事ですよと云うて其処の主人が教えて呉れた。それでもこちらは一心発起しとりますから、首にはお大師様のお参りをする時にお洗米を入れる袋が有るでしょう、白く縫ったそれを首に掛けているんですよ。それでもまあ一心発起しとりますから、まあ歩いてでも行こうと云う風に思うて、そこで何か軽い食事でもとらせて頂こうとそこで注文して食事をしよったら。
表通りを中を覗いて通る人が有るのです。顔を見合わせた所が、北京時代大変心安うしておった友人がですね、「いやあ、どうしてこの様な所におるのか」と。まだそこは教会のある町らしんです。それであんたが此処でその、金光様の先生しとると云う話を聞いて、もう大変な御殿の様なお広前が出来とると云う話を聞いて、どうして私に招待状を出して呉れなかったかと、今日はどうでんこうでんあんたの家に連れて行けと云う訳なんです。私はもう家はもう振り捨てて来とるとですから帰られん。
けれどもその人がそう云うもんですから、いや自分はこうと相手は信心がないから、しかたが無いから言えんもんですから、まあ何とかなるだろうと思うてその人と一緒に道に出たのです。所がその人の言う事に、此処の町にその自分の知合いで大変な金満家があって、もう兎に角ある難儀な問題で大変悩んでおるから、その今から僕と一緒にお済度に行ってくれと、是はまあ、金光様の信心で云うなら取次助けてやってくれと云う訳なんです。ご済度に行ってくれと云うのです。
仕方がないもんですから、そこへやらせて頂きましたら、何と大変な邸宅で大変な成程金満家の方。それから御主人に色々お話をさせて貰い、そしたら奥さんも見え、それから又子供達も見え、それから又は子供達も見え、それから親戚にも電話を掛けて呼びますからと云うて、そこ一門の人達が一生懸命お話を聞いて下さって、そして私に帰依をして下さって、明日の朝から御祈念にお参りしますからよろしゅうお願いしますと云う事なんです。もういよいよ又教会に帰らんならんと云った様なお夢でした。
どう言う様な事だっただろうかと私は思ったんですけれども、これはもう久留米に光橋先生が神愛会の支部を作りました時、それから福岡にも出来、そん時に神様から双子誕生と云う様な意味の事を頂きましてね、それからあのー。光橋先生も恵比寿さんと言われよった。秋永先生も恵比寿さんと言われよった。だから双子が同時に誕生すると云うので福岡と久留米に、いわゆる支部が出来るとこう云う事でした。
それで先ず私がその時ももう夜の御祈念を終らせて貰いまして、もう皆さんがあの時分は夜の御祈念が多かったですもんねえ。何人か残っておられたが、私が最後の御礼を申させて頂きよりましたら、「久留米布教」と云う事を頂きました。それから最終のバスで私は久留米へやらせて頂いた。そして西鉄久留米に降りて、さあ何処へ行ってよいやら分からんから、あそこで御祈念させて頂きましたら、石井さんの家に行けと云う事であった。丁度石井かおるさんがお産で福岡の方へ帰っておる時でした。
その時に降り立った時にですね、こちらの方へ降りて北側の通りの方へ何とかと云う靴と鞄の看板の出ておる靴と鞄の店があって、前に富田屋と云うお菓子やさんがある。その看板から御理解を頂いて、久留米の将来の御比礼の事について頂いた。靴と鞄と云う事は、靴と言うは革が化けると書いてある。と云う事は人が変って神になると云う意味。同じ人でもそれが化かしたら神になると。
鞄と云うのは、その革辺に包むと云う字が書いちゃるからね。いわゆる久留米全市を包む程しの御比礼と言った意味の事を頂いて、もうそれからまあ、その時分誰あれも私に着いて來る者もおらんのですから、それからもうそんなら終バスのそういう時間に。その近所に、石井さんが住んでおられましたよね、天神町と云うのですかねえ。あそこはに参りました。それはもう突然行ったもんだから、ビックリしまして実はこうやって、久留米布教と頂いたから明日、何処か家を探して貰わにゃいけん。
そしたらもう他所にならよいから、家でして下さいと云う事でした。それからそのうもう本当にこじんまりとした、あの時分の方はご承知でしょうが、もう楽室から、神饌室迄付いておると云った様な感じでした。それはもうお宮を拝ませて貰うとあそこの大きな御結界もあそこは後ろの衝立の様なものもありましてねえ、それでもー明くる朝からそこでお取次をさせて頂いた。もうそれは私がどうでしょうか、十四、五日位おりましたでしょうか。もう総代会から婦人会から青年会まで出来ました。
もう大変な勢いでした。お月次祭なんか鯛が四匹も五匹もお供えに集まると言った様なそういうちょっと隆盛でした。そしてその後も光橋先生が座らせて貰うた。光橋先生が当時椛目の方を受け持って私が久留米の方へ行った。それからまあ、そうい地盤を作って、それから私は福岡へ行った。福岡でも暫くあちらにおりました。と云う様な事はですねえ。もうその理屈じゃないです。神様がそう仰るからハイと云うてもう行くと云う、そのもう詮索をしない訳ですね。
その時分でしたよ。もう久留米福岡に支部が出来て、帰らせて頂いたらそれも夜でした。「種子島布教」と頂きました。それはもう種子島なんて、もう勿論行った事もないし、ですけれども兎に角すぐ立てと神様が仰るから、もうすぐその時もやっぱ終のバスだったでしょうか、そして久留米の光橋先生の所に寄りました。それからもう光橋先生がびっくりして、それでもさっち行くと云うもんですから、あのう旅費を駅の夜行で行くんですね。旅費を種子島迄行く旅費を作ってくれて。
それから石井さんがお弁当作ってくれて、そしてその間に私は知りませんでしたけれども、大橋に電話かけとる。秋永先生の所に「とても親先生がこげなこつ言いでえとるけん早う来てくれんの」と云う訳です。それから秋永先生がブーブーやって来とりますもん。そしてからもう、おごる事おごる事、てんでもうあんたが馬鹿んごたるこつばっかり言うてからと、もうそうにや、やかましゅう言いましたもん。
それけん光橋先生はそれ言いきりませんけれども、やっぱ秋永先生が言いなさる様に、まあだ私はあんまり突飛な事じゃないだろうかと、兎に角表にタクシーも連れて来とりますもん。さあこのタクシーに乗りなさいと、もうタクシーに押し込まれる様にして、又椛目さへ押し返されたんです。そして神様に椛目で御礼申させて頂きよりましたら、あの時分に秋永先生の事も荒神さんとか、又は光橋先生の事を水神さんとか、私の事を天神さんと云った様な表現で頂いとりました。
「荒神さんに怒られて、水神さんに流された。天神泣く泣く太宰の府に着きにけり」と頂きました。太宰の府と云う事は、天神様が治まらにゃん所に治まったとこう云う訳ですね。結局そんなら神様のお試しであったと云う事になる。とても神様はそげな突飛な事を今頃からとても種子島なんてん行ったこつもないとに旅費もないですよ。なんて云う事じゃなくてです、もう行けと言わっしゃればハイと言うて行く度胸なんです。
そしてですそれがそんならお試しの場合は、もうそんならそこに水神さんや荒神さんがやって来てです、怒ってからでもです、又元の座に押し戻すと云う事が、私は今日はままよと思う心と云う事は、そう云う様な心になっておらなければそういう離れ業は出来ないと思う。そしてそんなら結局神様としては、天神泣く泣く太宰の府に着きにけりと云う事は、やはり椛目に帰って來るのが本当だったと云う事になる訳ですよ。
私は今日夢の中に頂いた様にもう本当に、例えば神様からお知らせを頂いたんでしょう。だからその一心発起した訳でございましょう。そしてそれがなら例え一ケ月かかってでも歩いてでも、新たな別天地を目指して、お釈迦さんの様な気持ちでそれこそ家出をしておられる訳です。ああ今頃は信者さんが騒いどる事じゃろう。黙って出て来とるからと云うて、そのそんな事も考え乍らお食事でもさせて頂いて、その汽車の時間やらを聞いておる所に、是は今私が信心でこうと言う訳にはいかない。
信心のない北京時代の友人がたまたま通り合わせてそれに付いて行かんならん様な事になって、しかもそんならどうでんこうでん、あんたの家に立派な家が出来とるもんじゃからお祝いに行くとこう言いよるけん、いいや来なさんな、と云う訳にはいかん。行く道道その人の知った人のお家に、こんな難儀な家が有るから一つお済度をして呉れとと云う、そんなら行ってやらせて頂いてそういう御用させて頂いて、結局は此の人も合楽の方へ来たいと云いよる。
又そのお済度をしたお家の家族の方達がもう是で助かるかも知れん。そんなら明日の朝から御祈念に参って来ますからどうぞよろしゅうと言いよるから、私が帰らん訳にはいかんと云う、やはり夢の中でお試しを受けたなと云う様に今朝から思っておりましたら。この四十八節のここも頂きましたから、これはまあ子供の病気と云う一つの人情から云うたら、もうそれこそ手を放されないのが親の心であるけれども。
それでもやはり放っておく様な気持ちになって信心、修行してやれと云う、このままよと云う心がです、神様がなら、そのどの位神様神様と言いよるが、どの位本当なものか、どの位本当に有難いのか、どの位例えば、ままよと云う度胸が有るかと云う事をまあ確かめて下さる。うなら段々信心を覚えて参ります。そうすると必ずやはり試験がある筈です。だから教えとらん事は試験に出さんと神様は仰る。
充分繰り返し繰り返し教えた事の中から試験をするとこう仰る。ですからその試験に合格した時に、そんなら小学校であるなら中学校ですよ、中学校ならば高校へ進学できる様なおかげになるのです。お互い信心の稽古をさせて貰うて、いよいよそんなら信心も進みおかげの受け物も大きゅう頂いて行く事の為には、やはりそういう修行にも、それをどんな難関であっても突破させて貰える為の、信心度胸と云うものもです、日頃鍛えておかなければなりません。
愈々の時にウロチョロと慌てると云う事があってはならないと云う事を是に教えてある。たまたま今日私はしきりにその二十年前の秋永先生に怒られたり、光橋先生に流されて帰って来た晩の事を今日はしきりに思わせて頂きよった。そうするとその事をこう考え合わせておりましたら今日は四十八節を頂きました。ですからその時の夢の中にあっても、その私がそん時種子島に布教に行こうと思うた事も。
もうそれは当時の椛目でどんどん人が助かっておった時代ですから、それを振り捨てて行かなければならんのですから、是はままよと云う心にならなければ出来る事じゃない。そのままよと云う心が又の御理解にもあります様に、十二分の徳を受けようと思えば、ままよと云う心を出せと仰っておられます。だからもうおかげの世界じゃない、もう徳の世界にと云う時には必ずこの信心の度胸が要ると云う事なんですよね。
どうぞ。